コラム
2026/07/31

弁護士小川耕平の自己紹介

私は73期司法修習生で、現在6年目の弁護士です。
ここでいう「73期」について少しお話しします。司法試験に合格した後、弁護士・裁判官・検察官(法曹三者)になるためには、最高裁判所が管轄する司法研修所で1年間の実務研修を受ける必要があります。その研修のクラス分け(期)にあたるのが修習期です。戦後、新制度が始まった1947年(昭和22年)の第1期からスタートし、毎年カウントが一つずつ増えていく仕組みになっています。私は令和元年(2019年)に司法試験に合格し、同年に司法研修所に入所したため、新制度開始から73年目の修習生=73期となります。

雑学はこのあたりにして、私がなぜ弁護士を目指したのか、その経緯を書きます。
法曹を目指したきっかけは父です。父は35期司法修習生で検察官でした。幼少期は父の仕事ぶりを直接見ていたわけではありませんが、いつも忙しそうにしていたのを覚えています。それでも、どこかやりがいを持って働いている父の姿を見て、私も次第に検察官という仕事に興味を持ち始めました。私が小学6年生のとき、木村拓哉さん主演の検察官ドラマ『HERO』が大ヒット。「これが父の仕事か!」と大きな衝撃を受けた少年時代の私は「検察官になること」を将来の夢に掲げました。

しかし、正直な話、私はひたむきに机に向かう真面目な学生とは程遠いタイプでした。中学・高校は横浜市にある桐蔭学園で、6年間は自宅から学校まで通学に片道約2時間かかっており、当時の記憶は、勉強した内容よりも電車やバスの中で過ごした日々が大半を占めています。

大学は小樽商科大学に進学しました。大学1年生2年生のときは勉強という勉強はせず単位を取るためになんとか頑張って授業に出席していた記憶です(今思えば、真面目に講義を聞いておくべきであったと後悔しています)。部活は基礎スキー部に所属していました。基礎スキーとは、オリンピック種目にある競技スキーのようにタイムを競うのではなく、どれだけ正しく合理的にスキーをコントロールできるかという技術の正確性や美しさを競う日本独自の競技です。夏は地獄坂でのダッシュや筋力トレーニング、冬はスキーに明け暮れる毎日でした。

そんな私が、具体的に司法試験に向けて勉強を始めたのは大学3年生の秋です。周りで就職活動や公務員試験の勉強が本格化し、否応なしに将来を考えざるを得なくなったとき、幼少期に抱いた「検察官になりたい」という熱い気持ちが蘇ってきたのです。

司法試験制度は、受験資格を得るために2つのルートがあります。1つは法科大学院(ロースクール)を修了するルート、もう1つは予備試験に合格するルートです。法学部出身ではなく、法律の「ほ」の字も知らなかった私は、迷わず法科大学院ルートを選択。北海道大学法科大学院の未修コース(3年課程)に入学し、23歳の春、ようやく本格的な法律の勉強をスタートさせました。

さて、そこから司法試験に合格し、現在に至るまでの物語は少々長くなりますので、この辺りで留めておこうと思います。

それでは、読者の皆様にいつかお会いできる日を楽しみにしております。(もちろん、法律トラブルに直面しないに越したことはありませんので、できればそれ以外の機会で)。

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